なぜドの音は「C」なのか?——音楽で習ったあの話

なぜドの音は「C」なのか? 音楽

秋の夜長、ギターを始めたばかりの中学生の甥っ子が、コード表を広げてうなっていました。「ねえ、この『C』ってドのことなんでしょ? じゃあ『A』は?」「ラだよ」と答えると、甥っ子はますます首をかしげます。「え、なんで? AがいちばんはじめならAがドでいいじゃん。ドレミファソラシって、なんでCDEFGABなの?」

そう言われてみると、たしかに不思議です。アルファベットはABCの順。ドレミもドから始まる。なのに、その2つを並べると「ド=C」「ラ=A」と、なぜか途中からスタートしている。私も一瞬、言葉に詰まってしまいました。

カラオケでキーを変えるとき、ピアノの発表会のプログラムに「ハ長調」と書かれているのを見たとき。大人になってからも、私たちはこの「ずれた名前」にしょっちゅう出会っています。

「ドがAじゃない」。この小さなずれには、1000年分の音楽の歴史が折りたたまれています。

ピアノの白い鍵盤と黒い鍵盤

実はこれ、中学の音楽で習った「ハ長調」の話なんです

覚えていらっしゃるでしょうか。中学校の音楽の教科書には、「ハ長調」「ト長調」「イ短調」といった言葉が出てきました。黒板に五線を引いて、「ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・イ・ロ」と書いた記憶がある方もいるかもしれません。

実はこの「ハニホヘトイロ」は、英語の「CDEFGAB」を、日本語の「イロハ」に置きかえたものです。つまり、イ=A、ロ=B、ハ=C。ハ長調とは「C(ド)から始まる長調」、イ短調とは「A(ラ)から始まる短調」という意味なのです。

教員時代、音楽の先生と一緒に授業をしたとき、子どもたちに「どうしてドが『イ』じゃなくて『ハ』なの?」と聞かれたことがあります。そのときは「そういう決まりなんだよ」としか答えられず、職員室に戻ってから、手帳に「ドがCの理由、調べる」と書きつけたのを覚えています。あの宿題の答えを、今日はじっくりお話しします。

「そういう決まり」の裏には、たいてい「そうなった理由」が隠れています。

音符が並ぶ楽譜のアップ

先に生まれたのは「ABC」、あとから来たのが「ドレミ」

謎を解くカギは、アルファベットの音名と、ドレミの名前は、生まれた時代も目的も別々だったということです。

まず先に生まれたのは、アルファベットの音名です。10世紀ごろのヨーロッパ、教会で歌われていた聖歌の世界で、音に名前をつける工夫が広まりました。そのとき、ふだん歌に使う音の並びのいちばん下の音から順番に、A、B、C……と名前をつけていったのです。その「いちばん下の音」が、今でいう「ラ」でした。

当時は、今のように「明るい長調」と「暗い短調」の2種類ではなく、どの音から始めるかによっていろいろな音階(旋法)が使われていました。ですから、「ラ」から名前をつけ始めても、何の不便もなかったのですね。

そのあと、11世紀にイタリアの修道士グイード・ダレッツォが、歌を覚えやすくするための工夫を考えました。ある聖歌の、各フレーズの歌い出しの音が1つずつ上がっていくことに目をつけ、その歌詞の最初の音節「ut・re・mi・fa・sol・la」を音の呼び名にしたのです。これが「ドレミ」の始まりです(「ut」はのちに歌いやすい「do」に変わり、「si」もあとから加わりました)。

このとき、「ut(ド)」を当てはめて歌う出発点のひとつが、ちょうど「C」の音でした。やがて時代が進み、ヨーロッパの音楽は「長調」と「短調」の2つを中心に回るようになります。そして、黒い鍵盤(♯や♭)をひとつも使わずに長調が作れるのが「C」から始まる音階だったため、「C=ド」が基準としてすっかり定着したのです。

たとえるなら、建物の部屋番号のようなものです。ビルが建ったときは1階の端の部屋から「A号室、B号室…」と番号をつけた。ところがその後、正面玄関が「C号室」の前に作られ、みんながそこを「スタート地点」と呼ぶようになった。部屋番号はそのままなのに、入り口だけが途中に移ってしまった——ドがCなのは、そんな状態なのです。

名前は「最初に決めた人の都合」、スタート地点は「あとから使う人の都合」。ずれるのは当然だったのですね。

じゃあ、これも同じ原理では? 暮らしの中の「ラ」と「C」

「Aはラ」「スタートはC」。この2つを知っておくと、身の回りの音のあれこれが、急にすっきり見えてきます。

例1:NHKの時報「ピッ、ピッ、ピッ、ポーン」は「ラ」の音

ラジオやテレビで聞きなれた時報。あの「ピッ」は440ヘルツ(1秒間に440回ふるえる音)、最後の「ポーン」はその倍の880ヘルツです。実はこれ、どちらも「ラ(A)」の音。オーケストラが演奏前に音合わせをするときも、オーボエが鳴らす「ラ(A)」に全員が合わせます。名前の最初の文字「A」は、今も音の世界の「ものさし」として働いているのです。

例2:「ハ長調」と「イ短調」は、白い鍵盤だけでできる兄弟

ピアノの白い鍵盤だけを、ドから順に弾くと明るい「ハ長調」。同じ白い鍵盤だけを、今度はラから弾くと、少しさみしい「イ短調」になります。使う鍵盤はまったく同じなのに、スタート地点が変わるだけで雰囲気が変わる。中学で習った「平行調」という言葉は、この兄弟関係のことです。そして、昔の人が「ラ」から名前をつけ始めた時代の名残りを、イ短調の中に感じることができます。

例3:ドイツの楽譜で「B」を吹いたら、ヒヤッとした話

市民吹奏楽団に入った知人の話です。初めての合奏練習で、指揮者に「そこはBで伸ばして」と言われ、自信満々で「シ」を吹いたところ、自分だけ音がぶつかってしまいました。実は、ドイツ式の呼び方では「B」は「シ♭」のこと。ふつうの「シ」は「H(ハー)」と呼ぶのです。「顔から火が出るかと思った」と笑っていましたが、同じアルファベットでも国によって指す音が違う、というのは音名の歴史の複雑さそのものです。

例4:カラオケの「キー」も、ギターの「Am」も同じ仕組み

カラオケの画面に出る「原曲キー:C」、ギターのコード表の「C」「Am」「G」。これらもすべて、同じアルファベットの音名です。「C」はドを土台にした明るい和音、「Am」はラを土台にした短調の和音(mはマイナー=短調のしるし)。甥っ子が最初に覚えたコードが「C」と「Am」だったのも、白い鍵盤の兄弟と同じく、どちらも押さえやすい基本の組み合わせだからなのです。

アルファベットの音名は、1000年前の教会から、今夜のカラオケボックスまで、ずっと続いている共通語なのです。

楽譜が置かれた譜面台とコンサートホール

「ハニホヘト」は、歴史のずれを丸ごと訳した言葉だった

甥っ子にこの話をすると、「じゃあ、ハ長調の『ハ』って、Cを日本語にしただけなんだ!」と目を丸くしていました。そうなのです。私たちが中学で「ハニホヘトイロハ」と唱えたあの呪文は、「ドから始まるけれど、名前はラから始まっている」という歴史のずれを、そのまま日本語に訳したものだったのです。

イロハのイ(A)ではなく、ハ(C)から始まる「ハ長調」。あの半端に見えるスタートは、名前をつけた人と、音楽を使った人の、1000年にわたる引き継ぎの跡でした。そう思うと、教科書の片すみにあった「ハニホヘトイロ」の表が、急に古い地図のように味わい深く見えてきませんか。

音楽の授業は、歌ったり楽器を演奏したりするだけでなく、こうした「名前の由来」にも、人の歩みがぎゅっと詰まっていました。子どもの頃には「覚えるもの」でしかなかった言葉が、大人になった今、「わかるもの」に変わる。それこそが学び直しの醍醐味だと思います。

「なぜAじゃないの?」と聞ける人は、1000年前の音楽家とも会話ができる人です。

次回予告

次回は、図工の時間に使った絵の具のお話。「なぜ信号の『青』は、どう見ても緑色なのか?」——図工で習った色の名前の話をお届けする予定です。どうぞお楽しみに。

知っている曲が、今日から少しだけ違って聞こえる。それが学び直しのいちばんのごほうびです。

より深く知りたい方へ

「音名がなぜCから始まるのか」という疑問は、国立国会図書館のレファレンス協同データベースにも、図書館に寄せられた質問として回答つきで収録されています。中学校の音楽の教科書(器楽や音楽の基礎の資料ページ)にも「音名」の対応表が載っていますので、お子さんの教科書をのぞいてみるのもおすすめです。

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